2009年8月9日日曜日

♯72 without records(アート)



 展覧会ということで、
勝手ながらブログ右にある括りは「アート」にさせていただく。


 ということで、原宿「Vacant」にて、
大友良英+青山泰知+伊藤隆之/YCAM InterLab + α
「without records」を見に行く。


 いやぁ、なかなか予定が合わず、
行けなかったがようやく行くことができた。
ましてや、8月9日までということで、
終了直前、ギリギリセーフであった。

 DVD付きのチケットを予約していたので、
何とか行きたいと思っていたが、念願叶った。

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 お盆が近いにも関わらず、
原宿の様子というのは、いつもと変わらない。
竹下口から見下ろされるあの人の群れは、
相も変わらずで、いつもとの違いは、
夏休みのせいか、観光客が多いということ。


 そんな原宿の佇まいの脇で、
上の写真にある通り、ポータブルプレイヤーで、
「without records」目的の人は、
ここか!と一目でわからせ、
そしてそうじゃない人にも、関心を引かせていた。

 
 お金を払い、展覧会場に足を運ぶ。
アナログなカツカツとした音と、
サーフェイスノイズのような音が僕を出迎えた。

 
数あるプレイヤーは、会場をフルに使い、
様々な形状、様々な高さに配置されている。



 そして、電球も、上記の写真(ネットで盗んできた写真)でわかる通り、
数多く配置されつつ、高さを変えて配置されてある。
写真では明るいが、現場では、
電球の光は、何かにコントロールされているかのように、
流れ、点滅し、視覚的に効果を与える。

 プレイヤーを各々見てみると、
リズム音を鳴らすように、ノイズを鳴らすように、
と、数あるプレイヤーに加工させ、
それらを各々、どういう条件下か知らないが、
各々ONとOFFが繰り返され、
時として沈黙、時としてプレイヤー全部が鳴っているかのような、
押し寄せる音が会場を包んだ。

 mixiでの北里 義之氏による日記の中で、
大友良英氏とこんなやりとりがあった。

勝手ながら転載させていただくことに、
深く頭を下げながら転載したい。

北里氏の、
「私が偶然に出会うことのできたもうひとつのポータブルプレイヤーは,
すでにターンテーブルが動かなくなったものだった。
あるいはターンテーブルを動かさずに音を出すものだった。」

という文に関し、コメント欄に大友氏はこう記す。
「種明かしはなるべくしないつもりですが
これは、後者のほうで 最初からそう仕組まれたものが数台あります。
想像されたとおり、これはフィードバックでして
決して加工してそうしたのではなく そうなりがちなものを、
そうなりやすいように仕込んだだけのものです。
ただなかなか安定しなきて 会期中にも音がどんどん変わってしまいます。」

種明かしをしたくないのに、さらにここで晒してしまうことを、
なお一層私は反省しなくてはならないが、
知って納得、も消費の手段の一つである。


 ところで、会場の中での鑑賞についてだが、ある時を過ぎ、
壁に寄り添い、ただジッと佇んで耳を音に傾けてみる。
目を瞑る。プレイヤーの配置もまっさらにただ耳を傾ける。
音は無機的というか、何の役割も果たさず、
私の耳に届くことを拒むかのように、
ただただ、鳴いている・・・・・・・・・つまらない。

正直な感想である。


 思うに、電球の配置、プレイヤーの配置、
それらの光の流れ、プレイヤーの音、
それぞれを視覚的に知覚・認知することに、
ひとつの意義があるのではないか。

 一定の場所のみの鑑賞では掴みきれない。
それは、プレイヤー本体から音は発されるので、
まず、場所によって聞こえる音と聞こえない音が生まれる。
無論、ごく微量の音しか発することのできない、
プレイヤーもあるのだから当然である。
ましてや、音を発しないプレイヤーもあるわけだから。

 つまり、とても鑑賞する方も根気がいるわけだが、
何より、音好きがどうせ集まるあの場では、
その根気もなんてことはないし、
どこか一定の場所で聞くのも、
それはそれで、それだけでその場を、その音を、
知覚・認知できる行為であるし、鑑賞態度はどうだって良い。

プレイヤーと電球のONとOFFの条件を知り得ぬ状態なわけだから、
どれくらいの時をそこで過ごそうが、それすらも自由なわけだ。


 つまり、この展覧会の素晴らしいところは、
明るい時間が少ない中で、我々はその場を歩き、
>または足を止め、見渡し、その視覚を存分に用い、
そうすることで、さらに音に対する姿勢を更新させる。

という点、かと思えば、
果たしてそれが正解なのかといえば、
実際のところ、どうなのだろう、

という人によって感じ方は様々、
という常套な文句が勝るのか、

という多種多様な感覚へのアプローチの空間を、
古ぼけたプレイヤー約100台で構成したことだろう。


昼下がり、良い時間だった。




2 件のコメント:

  1. 会場の様子が伝わってきて参考になりました、福岡なんで行けないんですがYCAMのスタッフが手伝っているみたいですね。ターンテーブルを動かさずに音をだすってのが興味深いです。 

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  2. わー、コメントありがとうございます!!
    いやぁ、いい空間でしたよ!
    考えさせられながら、鑑賞してました。
    ただ、そこに行くまでの原宿の道は、
    人が物凄くて、あれだけで疲れます。。。

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