2010年2月25日木曜日

♯163 マスメディアの未来を学ぼう(雑記)

 「マスメディアの崩壊後に開ける世界」と題し、
ジャーナリストの佐々木 俊尚さんのインタビュー記事を読む。

「主」であったマスメディアの衰退に関し、
とてもわかりやすいインタビューであった。

以下に紹介したい。


マスメディアのビジネスモデルを弱体化させた原因は、
どのようにして生じたのでしょうか?

との問いに対し、

マスメディアが前提にしていた「マス」の消滅に原因が求められると思います。
・・・中略・・・
高度経済成長期なら「みんなが買っていた車」や
「みんなが聴いていた音楽」がありました。
しかし、いまは人それぞれ求めているものが違いますし、
車にいたっては、「そもそも必要ない」という人もいます。
マスが消滅して欲しいものが個別化して行く状況の中で、
いまだに新聞やテレビは、
「みんなが同じものを読み、同じものを見る」ことを前提にしています。
その考えが現実と合わなくなっているのです。

と答える。


 そして、

90年代にインターネットが出現し、
初めて自分に適した情報を得ることが技術的に可能になりました。
それがマスメディア中心の記号消費を崩壊させる要因になり、
また格差社会化の劇的な進行もあって、
「みんな」との一体感やマスという幻想が打ち砕かれたのだと思います。

と話す。


ミドルメディアの登場に関して。
こちらはメディアの将来についての言及である。
「主」のメディアには過去の既得権益と、
それに伴うネットワークを持っているわけが、
詳しくはインタビューを参照してみたい。


小沢氏の疑惑に対し、マスメディアは説明責任を求めていました。
小沢氏は検察の聴取を受けた直後、会見を行いましたが、
マスメディアはほとんど報じることはありませんでした。
しかし、動画共有サイトのUSTREAMが放送したことで、
インターネット上ではさまざまな意見が交わされました。
マスメディアが情報を発信するにあたっての
判断基準は何にあるのでしょうか?

という問いだが、回答には興味を抱いた。


この一件に関しては、検察に嫌われたら、
検察庁の記者クラブを出入り禁止になる可能性がありますし、
そうなると記事が書けなくなります。その不安がすごくあったと思います。

と回答。そして、

マスメディアの最後の砦は、権力の監視にあると思います。
マスメディアが消滅した場合、その監視機能はどうなるのでしょうか?

と、問い。


マスメディアが消えた後、ミドルメディアが登場するでしょう。
マスメディアが数百万、数千万人を対象にしていたのに対し、
ミドルメディアは数千から数十万規模の特定の領域や
分野に向けて発信されます。従来はコストがかかるため、
ミドルメディアをつくるのは難しかったのですが、
技術の発達により低コストで情報を流通させることができるので、
その数も増大していくでしょう。


そして、出版全体、
また表現者の未来の姿への予測。
と、なるほど、と、頭の片隅にあるようなことを、
かゆいところを、見事に手をのばしてくれるような問答がなされていて、
なかなか楽しんで読むことができました。


やはり、この手の業界は、
ミドル層が多数出現してくるだろう、
というよりももうどんどん出てきている。

また、それに伴い、コミュニティは様々に形成され、
相互連携によって一群、また一群、と成立していくことでしょう。

果たして、それはビッグがケツを持つのか、
もしくは無数のインディーが出現していくのか。

テレビ局や出版社、新聞社というものが、
現時点で、衰退していってることは自明だが、
「一つ」が売れる量は減ってはいるが、
「それぞれ」でみると、完全に先が閉ざされているとは思えない。
ビジネスモデルと経済的価値観の変化が試されている次第であるが、
消費者からすれば、情報の奪い合い、情報戦争である。

インタビューにおいて「情報オタク」というワードは、
見事に心を射抜かれた気がした。

「主」の存在は、「みんなが」というキーワードが前提であったが、
それと対立する構図の未来予想図が「情報戦争」である。

どちらにも属したくもないが、
面白いものをさがすには「情報」は必要不可欠だ、

ちなみにここまで記事にさせていただいた、
インタビュー記事のリンクはこちらです。


また、池田信夫氏のブログを拝見すると、
どこかつながる点があるような気がしてならないので、
そちらもリンクとして貼っておこう。

こちらだ


結局の行く末はどうなるのだろう、
と思い嘆くばかりであるが、
(個人で見れば嘆くほどでもないが、
マクロな視点で見ると、やはり気になることではある)
イデオロギー論争がどこまでも続いて行くことだろう。
しかし、経済的価値観は確実にビジネス面において、
変ってくるだろう(と信じたい)




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