現代、電子化が進んでいる、
ということで、音楽にしろ、ポンとデータにしちゃえば、
あとはパソコンで起動するだけ、
CDのディスクやパッケージのありがたみなんて、
最初だけ、のような風潮であることは間違いない。
今やitunesは世界を圧巻し、
僕もその潮流にただ身を任せている次第です。
そのため、私にとって、
資産価値として、CDと書籍が逆転してしまった。
今では、俄然書籍の方が資産価値としては僕は高いと思っている。
昔に比べ、はるかにCDを買わなくなった。
レンタル等を含め、データでやり取りしたりすることも、しばしばだ。
しかし、作り手の生活を考える上で、
CDやレコードの衰退は非常な痛手となるかもしれない。
話を日本に絞って考えてみれば、また頭を痛める。
いかんせん、人口は減ってきているわけだ。
若年層の減少、人口ピラミッドは変化し、
高年齢に人口が増えてくる世の中で、
売り上げの増加は期待できない。
音楽ダウンロード時代の突入か、
ともよく言われていたが、
いまいち、定着化したとも思えないし、
作り手の生活を形成できるとも思えない。
しかし、音楽業界において、
僕はまだまだCDの時代は終わらないと思っている。
作り手の生活水準への満足が、
過去の音楽エンターテイメントカルチャーの水準と
切り離せるかが、重要だとも思うし、
いかんせん若年層は、ドライな感じもするわけで、
けっこうこれからも様々に作品は、
生み出されていくのではないか、とも思っている。
(といっても超大手レーベル抜きの考察に過ぎないが。
大手に関しても、考え方は大きく変化していくと思う。
海外では着々とインディペンデントが目立ってきてるし、
「着々」という感じになっていってしまうのかな、これから・・・)
そこで、さらに時代は進み、もうひとつの危惧が生まれる。
僕の中で価値を二分に分かつ、
書籍に関しても電子化が進んでしまうのではないか、ということだ。
アマゾンのKindleの登場、iphoneそしてipad。
次々生み出される新製品。
KindleもPCとつなげて漫画も読めちゃうし、
といったKindleレビューはこちらで確認。
ホリエモンの2/13付けブログを見ていたら、そんな記事があり、
今、こうして多少の危機感を持った次第なわけであるが、
(ホリエモンblogはこちら)
もしかすると雑誌が電子コンテンツとして、
これから伸びてしまうのかなぁ、と、
単行本に関してはどうなのかなぁ、と思っていたが、
ホリエモンはこう記している。
以下に、転載
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たぶん、現代のユーザは電車に乗っている時間とか、
友達を待っている時間、寝る前とか
そういう細切れの時間を潰すためのアイテムにお金を払う。
ここの時間を(ソーシャル)ゲームやテレビなどと奪い合うことになる。
そうするとデジタル活字コンテンツは
どうしても短く30分程度で読めるようなものにならざるを得ない。
だから携帯小説も流行ったわけだが、
そう考えると今の単行本の分量はいかにも多い。
だから、単行本をそのまま出しても
あまり売れなさそうな気がするんだ。
だから、一つのコンテンツに役に立つことが1つか2つくらい
簡潔に書いてある感じのパッケージングが
鍵になってくるんではないだろうか。
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なるほど、電子化に時間を奪われる時間の到来が近づいている、
というよりむしろ僕はもうだいぶ時間を奪われている。
人々の一日の時間配分は、皆、同じ24時間である。
仕事、食事、睡眠、風呂、・・・
その余暇の埋め方は人により様々だ。
電子化コンテンツの偉いところは、
「ながら」が可能なところでもある。
常に何かしらのコンテンツにより、
落ち着いた時間を過ごすという、
かつて日本にひそんでいながら、現代では忘れかけている
「間」や「陰翳」「奥床しさ」「内省的」といったところを、
逆手にとり、落ち着きを奪う。
もう「日本らしさ」という言葉の、
説得力は薄くなり、、、しかし、、、
新たな日本らしさが・・云々、
といった議論も白熱されるであろう未来の世もうかがえる。
電子化、便利化、
便利に乗じてみてはいるが、
それにより今まであった秩序がどのように乱れ、
それにより、どのような変化が待ち受けているのか、
使い手に限らず、作り手にもその視線は必要になる。
と、よーく見ると、
当たり前なことを書いたにすぎないようなこの記事だが、
これが当たり前ではない、とも受けとる、
無限ループのイデオロギーの衝突が、
実際に世の中ではあるのだろう。
とりあえず、これからどうなるんだろう、
っていう、ただそれだけの、記事です。
2010年2月14日日曜日
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