このように年度の境目に「転機」を見出す者は少なくない。
2月いっぱいで東京を去る、ケンゴ。
我らが麻雀講師であり、プロレス講師でもあった。
そんな私と彼がいよいよ東京を去る、
という事実を知り、一人の心は、熱く燃えたぎった。
その男の名は、「シマヤ」という。
今までに数々のサプライズや伝説を残そうとし、
基本ハッタリがオチ、という男だ。
そんな彼から、いつも集う男たち7人に、
このようなメールが送られてきた。
「夜11時20分、高円寺駅集合で、
新宿で飲みに行こうぜ!送別会や!
サプライズもあるみたいだし、
金はドブに捨てたと思えば安い!」
今まで、彼が施すサプライズといえば、
特攻服を着て・・・云々とか、
ヤクザ・ヤンキーマニア、
という彼の肩書きは周知の事実であり、
所詮いつものくだらない感じだろう、と我々は思っていた。。
そしてなぜに、新宿で飲むのにわざわざ高円寺集合!?
と、もう我々のモヤモヤとイライラとで、
彼の施さんとするサプライズには何ら期待は抱かれておらず、
高円寺駅前のバス停に並ばせられ、愚痴を言いながら立っていた。
すると、バス停の前に一台の乗用車が現われる。
会話交じりに視界に入ってくるその乗用車。
近づくにつれて、我々は自分の眼を疑った。
何か、ちょっと、この車、長い。
上の写真が我々の眼前に現れたわけだ。
目が覚めた、これはリムジンだ!
まさか・・・、まさか・・・、
リムジンから、運転手が降り、丁重にドアを開く。
すると、この絵が我々を待ち受けた。
気持ち悪いけど、凄い。アホ過ぎる。
基本、夢を追う、下層貧民が住みつく高円寺の駅前において、
このような画を見せつけられ、
駅からの視線も痛い。痛いけど、心地イイ!!
クソっ!やられた!!
生まれて初めて、我々は、彼にサプライズさせられた。
悔しいけど、、かっこいい。
彼の趣味が初めて活きた瞬間であった。
たしかに彼は、ヤクザやヤンキーが好きであった。
自分でそのようになる勇気もなかった。
またそれと同時に我々は、
ビートたけしや藤山寛美の、
数々語り継がれるエピソードにあこがれ、
ずっと大人になれずにいた。
ロマンだけを求め、
具体性のない夢だけをただ追い続けた。
ビートたけしが歌う「浅草キッド」に、
いつも逃避し、何か答えがある、と信じている。
何とも哀愁漂う 愚直極まりない人生であろうか。
しかし、年月が経つにつれ、
この愚直なまでの馬鹿、という我々のモットーに、
終止符を打つ者が増えてきた。
結局、そうして私も終止符を打つ身だ。
「愚直」という言葉のかっこよさを忘れるなよ、
という彼なりのメッセージを、それを見事に体現させた彼に感じ、
我々は存分に東京リムジンクルージングを楽しむことにした。
リムジンといったら、
という定石どおり、もちろんシャンパンが備えられている。
まずはシャンパンで乾杯。
なんと夢見心地な時間であろうか。
こんな下層貧民の俺らがこんなことしちゃっていいの?
という戸惑いとともに、
我々は飲みに飲んだ。リムジンで。
あれやこれやとドンチャン騒ぎ!リムジンで。
写真みんな撮りまくり!リムジンで。
そう、「リムジンで」が付いてくるのだ。
それがあの時の、現実であった。
彼は事前にコースを用意していた。
「銀座を通りたい!」
彼は運転手にそうお願いしていた。
ザギンである。
もうここまでいったら、
いくとこまでいってしまうのが、
我々の今までのノリであり、
その積もりに積もった悪ノリの経験の集大成が、
「みんなで銀座で立ち小便」
である。
大したことないけど、
無邪気に銀座を走りまわりながら、
キャッキャ言ってる我々ではあったが、
今思うと、シマヤの手のひらに乗せられているようで、
若干、腹立たしい。
車に戻り、クルージングは続く。
そこで上の写真に注目である。
リムジンの後部に開けられる窓が発見させられる。
「女に声かけたい!」
我々の心はみな一つであった。
気づけば、みんな後部に集まっていた。
窓から声をかける。手を振る。
大抵の女はそれに対して、何らかのレスポンスがある。
社会の縮図・現実を間の当たりにした瞬間であった。
「リムジンがあれば、女なんてちょろいぜ」
みんな、こう思ったものだろう。
『金無い・モテない・チキン』
我々共通の項目であるが、
この時ばかりは、この項目はリムジンが全てを排除した。
すなわち、夢心地。夢のような時間であった。
みんなを夢心地にさせたシマヤのこの大仕事に、
みんなは、してやられた。
もちろん、集合写真は忘れない。
酒に酔い、夢に酔った。
終着点はもちろん、みんなが育った町、高円寺。
恥ずかしながら我々、25歳である。
今年、26歳になるわけであるが、
いまだに「青春」なるものを、
感じられるものなのだろうか、
「愚直」「馬鹿」
これはそんな我々のバックグラウンドからすると、
最高の褒め言葉になるわけだが、
シマヤという男は、一夜にして、
この二つの単語を自分のものにした。
大抵の男なら、金がありゃ、
女に支払うに違いない。
それをこんな男7人のために金を一人つぎ込み、
サプライズを仕込むだなんて、愚直なまでに馬鹿。
悔しいが、男をみせられた。
封筒にお金を詰め込み、
一人、こっそり精算する彼を見て、
すっかり我々は現実にかえった。
目が覚めた。
そのあとは、朝まで下層貧民の現実のもと、
朝まで飲み続けた。
伊藤整「青春」という作品に、
このような言葉がある。
「心の美しく健全なひとほど、
自己の青春の中に見出した問題から
生涯のがれ得ないように思われる。
真実な人間とは自己の青春を終えることの出来ない
人間だと言ってもいいであろう。」
愚直なまでにまっすぐ生き、
健全なる心でもっての純粋の馬鹿。
私は一足先にこの世界からフェイド・アウトさせていただくが、
これまでの時間に、悔しいが感謝している。
褒めすぎた。
本当はただの人間のクソの集まりです、僕たち。