2012年3月24日土曜日

♯290 CUT


2011年 日本
監督 アミール・ナデリ
出演 西島秀俊、常盤貴子ほか


あらすじ
「売れない映画監督・秀二(西島秀俊)の作品が
映画館で上映されることはなかったが、
彼は映画への情熱を持ち続けていた。
そんな折、兄が借金のトラブルで亡くなったことを知った秀二は、
彼の映画資金調達のため兄がやくざの世界で
借金していたことを知る。兄の死に対する自責の念から、
秀二は殴られ屋をすることで借金を返済しようとするが……。」


この画像にある通り「映画のために死ね」とは、
とても強烈な言葉です。

昨今の娯楽一辺倒である映画界に、
一石を投じるこの作品。
それはスタッフ、出演者関係なく、
映画への愛を丸々体現した作品だった。
これが、映画愛そのものだった。

かつて数年前に笑っていいともに西島が
出演したことをなぜか(というか大ファンだからか)
覚えていたのだが、確かそこで暇があれば映画館に
通っているということを話していた記憶がある。

そのときから、僕は西島の映画に対する想いと、
そのイケメン具合に悔しいがファンとなり
(とはいえ最初に彼のファンになったのは、
映画「海でのはなし」だったと思う。
んまぁ、ファンとしては若輩者です。)、
それが一気にこの作品への爆発的な期待感となった。

加えて監督はアミール・ナデリ。
詳細は知らなかったが、どうやら相当な映画狂のようだ。
イランから映画への自由のために亡命したという。

本作の中において、世界の103本の映画が挙げられる。
そして西島は何度も言う。

「映画は真に娯楽であり、芸術である」
「映画は売春ではありません。映画は芸術です。
我々は映画を尊敬するべきです。」

また、アミール・ナデリは言う。
「・・・今、私たちが観ることができる素晴らしい映画たちは
素晴らしき過去の映画があったからこそ作りだされた
ものだからです。これは「CUT」に込めたメッセージの
ひとつでもあります」

「若い世代は『単なるエンターテインメント映画』を好みます。
彼らの嗜好はビジネス街で決められているのです。
この状況には変化が必要です。
秀二(=主人公、西島)の行動と本作は
現在の映画業界に対する小さな抵抗です」


本作は、西島=秀二=アミール・ナデリと言える。
汚れた映画界に対する抵抗が丸々作品になっている。
年代を問わず様々に挙げられる映画作品。
それは映画に対する愛なのか固執なのか、
それは観る者が判断すれば良いだろう。

本音を言えば、僕としては、
エンターテインメント映画すら愛したい。
業界が汚れているのかという実情は知らない。
だが、「真なる作品」が生まれない状況は、
あってはならない事態である。

そのためには、鵜呑みできない情報と
己の「感覚」だけが頼りなのだが、
そういったことを再確認させる、
ひいては映画への未来についてを、
西島が一発一発殴られる様とともに
我々に語りかけた本作は、
なんとも言えない後味のある作品であった。


予告編


0 件のコメント:

コメントを投稿