2010年10月26日火曜日

♯219 Rachael Dadd + ICHI (ライブ観戦記)












 ということで、日曜日、
弘前のhoroにて、ライブ観戦してきました。

 horoは、もちろん初めてなので、もちろん道に迷いました(笑)
一軒家を利用した、という前情報は得ていたので、
あとは、そこがどのような場所であり、どう利用されているのか、
とても気になっていました。

 horoにたどりつくと、ちょうど向かい側から、
盟友(歳上なのにすみません)、サカモト氏と成田氏の姿が・・・。
まずそこでホッとしたのと同時に、
玄関から和風で穏やかな空間が垣間見え、
来て良かった、と思ったものでした。

 中に足を踏み入れてみると、すでに満員御礼。
その家の中からの庭の緑が繁る和の景色と光の射し具合、
Rachael Daddのテキスタイルと間接照明。

 手づくりならではの、その室内空間は、
作り手の多大なる愛情と尽力が感ぜられ、
満員ながら、おかげさま、の心地よさでありました。














 さて、Rachael DaddとICHIのライブです。
ICHI氏のセット→Rachaelのセット→Rachael Dadd&ICHIの夫婦セット、
という流れでした。

 私はかつて一度ICHI氏のライブは観戦したことがあるのですが、
彼の類い稀な好奇は、見事ユーモアだけでなく、
ハートフルな音楽へと昇華されており、
見ていて、笑顔と感心を与えるという、
実に見事な演奏を披露してくれるわけで、
まさにその通りとなってくれたのは、
とても価値あるものだったと思います。

 Rachaelの演奏は初めてだったのですが、
こちらも前から音楽性に関しては知り得てはいたので、
空間の運びはどことなく想像はできたのですが、
ICHIや日本、母国、そしてお客さんへの愛情が、
はちきれんほどに伝わり、
心こもったその演奏に、心打たれた人も、
当然多かったと思いますし、
もちろん私もその一人であることは言うまでもありません。

 そこにさらにICHIのスティールパンならびに、
パーカッションが加わり、
サウンドにより面白味が加わることで、
さらにhoroの空間を掴んだのではないかと思います。

 大きな会場では味わうことのできない、
というより、あの場所だから感じることのできた感覚、
きっとそんな感情があったと、
時間が経つにつれ、ひしひしと感じます。

 horoに関連した多くのスタッフの汗は無駄ではなかったことでしょう。
それは、ライブ後のお客のたくさんの笑顔が物語っていたのではないか、
そう思った素晴らしいライブでした。ありがとうございます。





2010年10月25日月曜日

♯218 志賀坊(紀行)










 ということで、土曜日、
無理矢理連れられて青森県平川市にあります、
志賀坊へ行ってまいりました。
大和山の紅葉を俺は見たかったのに・・・

 といっても、やはりこういった景色は良いもので、
時間を忘れ、ただただ眺めながら佇んでいたい、
そう思わさせるような壮観な景色でした。

 やはり奥に佇む岩木山が圧巻であり、
ここの夜景は恐らく素晴らしいのだろうな、
と容易に想像できました。

 自然、といっても、
その景観を出すためには、
多くの人為的操作、すなわち苦労が染み込まれており、
まさにその自然と人為的操作のバランスが、
まさに神秘なのであり、
そういった時間を忘れさせてくれるスポットが、
数々存在してくれることは、非常にありがたいです。
うん、経済的にも(笑)




2010年10月18日月曜日

♯217 モゲラウォグラ(映画)




2007年 日本

ちょっと長いですが、あらすじをキネ旬から引用

「人々は地震の話ばかりしながら、同じことを繰り返すだけの日常を送っていた。
10歳の少年(堀ひかる)は河原で、トンネルのついた秘密基地を
つくっていた。21歳の青年(石上亮)は、狭いダクトを掃除する
アルバイトを始める。ヒロ(宮崎晋太郎)は、川辺にいつもある落とし穴に
落ちてばかりいた。26歳の男(印南俊佑)は、ヒロと野球をすることだけを
楽しみにしていた。ある家の娘(梅舟惟永)は窓を締め切り、
家に閉じこもっている。彼女の45歳になる父親(大杉漣)は
娘と同じ家にいることが耐えられず、コインランドリーで時間をつぶしていた。
65歳の老人(麿赤兒)は、駐車違反の切符を切り続けている。
ラジオから、もうすぐ地震が来るらしいという噂が流れ始める。
人々はかつて犯した失敗を思い出し、繰り返しばかりの日常から
抜け出す必要性を感じて行動を起こし出す。
10歳の少年は、同級生の女の子を自分の秘密基地に誘う。
26歳の男は、ヒロと、ヒロが思いを寄せている女性・カオリ(我妻三輪子)
との仲を取り持とうとする。ダクト掃除のアルバイトを始めた青年は、
地元に住んでいる昔の恋人に会いに電車に乗る。
父親は、娘を外の世界に連れ出すために口を開く。」


ということで、早稲田大学映画研究会と
慶応大学SFC映像研究MOVEによる学生映画、ということみたいです。
応援として、大杉漣と麿赤児が出演してます。

偶然ツタヤで見かけて、本数合わせでなんとなく借りたこの作品。
まぁ雰囲気的に悪そうじゃないかな、と借りたこの作品。

僕はこの作品、嫌いじゃない!
むしろけっこう好きかも!
という感じなのですが、
時間軸の使い方が、あっ、そういう感じね、
という攻め方なので、正直もう一度観ると印象は、
さらにグッと変わってくるかもしれません。

錯綜する様々な人の葛藤と、その結末が、
ラストにどっと押し寄せるように、
流し込まれてくる様は、実に爽快。

パンチの利き具合が、
大商業映画にはないほどよい感じでこれまた好印象。
偶然出会ったこの作品。
偶然に感謝。

モグラ・・・
穴から出てこいよ・・・

へっ、現実ってのは、程よく辛口だぜ。

予告編




2010年10月16日土曜日

♯216 Evan Parker / John Wiese「C-Section」(音楽)




激アツな作品ですねぇ、
John Wieseと重鎮Evan Parkerの組み合わせ。

エレクトロニクスの控え目ながら、
明らかに変調さ。
そして、そこに纏わりつくサックス。

どっと押し寄せる緊張感。
時にどっと押し寄せるハーシュノイズ。
絶妙な出し引きは、押し引きのこの駆け引きは、
聴く者を圧倒する。

あっという間に世界観にひきこまれ、
聴き終えたときには、ちょっとクラっとくる。
(ヘッドホンで思い切り聴いたとき)


試聴

2010年10月15日金曜日

※家を離れていました

 家を離れていました。
更新が随分滞っていました。
おとといからほとんど寝ていないので、
明日以降からまたブログを頑張ってみようかな、
と思っております。

それではおやすみなさい。。。

2010年10月11日月曜日

♯215 家族ゲーム(映画)




1983年 日本
監督 森田芳光
出演 松田優作 伊丹十三 由紀さおりほか

ということで、なぜこのタイミングで家族ゲームなんだ、と。
いやぁ、文化系トークラジオLifeで「新・家族の条件」という特集が組まれ、
その中でちらりと出てきたものですから、
思わず便乗して、という感じで。。


あらすじ

「息子の高校受験のためにと雇った風変わりな家庭教師が
やって来たことで一家に巻き起こる騒動を描いた傑作ホーム・コメディ。
「の・ようなもの」の森田芳光監督が、現代家庭の抱える問題を
シュールなタッチでユーモラスに描く。横一列に並んでの食事シーンなど
斬新な表現手法が話題を呼んだ。出来のいい兄とは反対に、
問題児の中学3年の弟・沼田茂之。高校受験を控えて、
家庭教師としてやって来たのは三流大学の7年生で
なぜか植物図鑑を持ち歩く吉本勝という奇妙な男だった……。」


やはり、上の写真にあるように、
横一列の食事シーンというのは、実にハッとさせられた部分でありました。

家族とは、食卓とは、
という問いかけに対し、
人の配置を横一列にすることで、
我々に違和感を与えることで、認識させるという
その手法は、なるほどな、って感じですよね。

そんな実験的手法とともに、たたみかけられるラスト。
ここもまた諸説飛び交うものとなっておりまして、
この作品は今見ても、とても面白いと思います。
ぜひぜひチェックしてみて(はいかがでしょう?)




2010年10月3日日曜日

♯214 「俺俺」星野智幸(文学)




あらすじ

「なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった俺は、
気付いたら別の俺になっていた。上司も俺だし母親も俺、
俺ではない俺、俺たち俺俺。俺でありすぎてもう何が何だかわからない。
電源オフだ、オフ。壊れちまう。
増殖していく俺に耐えきれず右往左往する俺同士はやがて――。
現代社会で個人が生きる意味を突きつける衝撃的問題作!」


つくづく表現者、と言われる人に嫉妬する。
そしてこの星野氏のまた表現に、嫉妬する。

俺がいて、俺がいる。
それはまさに俺であり、つまりは俺以外の何者でもない。

社会全体を見渡した時、混迷極める人間関係。
その上で、中で、もしくは外で、生じる己のブレ。
自己は他者と同化しつつも、それすらも自己であるが、
そんな境界線は実のところ希薄。

たたみかける俺地獄。
現実と虚構の狭間。
一体今の自分はどこにいるのだろう。

その問いは、パッと開き、フィナーレに流し込まれる。
その問いをまず持つことが大事だ。
救世主は他者であり、己である。
どちらも欠けてはいけない大事なピースである。

感動と嘆息に覆われ、
ハッとした爽快感とともに、
一歩踏み出すことのできる素晴らしい作品でした。

新潮社 星野智幸「俺俺」