2011年8月30日火曜日

♯262 ザ・レスラー(映画)




2008年 アメリカ
監督 ダーレン・アロノフスキー
出演 ミッキー・ローク、マリサ・トメイほか

あらすじ

「かつては人気を極めたものの
今では落ち目のレスラー、ランディ(ミッキー・ローク)。
ある日、ステロイドの副作用のために心臓発作を起こし、
レスラー生命を絶たれてしまう。
家族とはうまくいかずストリッパーのキャシディ(マリサ・トメイ)
にも振られ、孤独に打ちひしがれる中で、
ランディは再びリングに上がる決意をする。」


 ということで、今日は「ザ・レスラー」
再起、というこの物語同様、
「かつてのスター」ミッキー・ロークにとっても
再起作となったのが本作であり、
話題となったのも記憶に新しいですね。

 レスラー一筋で流行とは無関係で、
色々センスの悪さを露呈する普段のランディは、
「かつての」時代から時間が止まっているかの
様子をうかがうことができ、
また落ち目のレスラー業とともにスーパーでバイトをしており、
その様子も一層「かつての」や「落ち目の」という
感じを思わせる。この姿をミッキー・ローク本人と
重ねた人も多いだろうし、そういう見方をしなくても、
十分に感じ、楽しめる作品である。

 そんなランディは、歳を重ねても、
どんなに落ち目になってもリングに上がり続ける。
殴り殴られ、体に無数の傷を負い、多くの血を流し。
そんなとある日、薬の副作用で、
レスラー生命が絶たれるわけだが、
その時、レスラー一筋で生きてきたランディは、
どのようになっていくのか。これが見どころです。

 再就職という簡単な道が待っているわけでもなく、
今のバイトをするしかない。
また疎遠となっていた娘に会いに行き、
うまく関係を築けそうになっても、
頓挫し、もうホントその姿はやるせない。

 ランディはストリッパーであるキャシディのもとへ、
よく息抜きに行き、気の知れた関係である。
そしてレスラー引退を機に彼女のもとへ言い寄るものの、
彼女に振られてしまう。

 そうこうランディは自分の生きる道を悩みながら、
時はそういったものと無関係に経ていく。
娘とも結局うまくいかず、女にも振られる。
彼に残ったものは何か。
何もない。そう思うのが現実的だ。

 だが、ランディは違った。
まだ彼には少なくともファンがいるのだ。
そして彼の心の奥の中心にはプロレスがあるのだ。

 彼は、再びリングに上がる決意をした。
キャシディにそれを告げ、リングへ向かう。
もうストリッパーとしても落ち目だった彼女も、
彼を、そして9つになる息子のことをより意識した。
彼がリングへ向かう直前、
彼のパートナーになってもいいわよ、
と質問を投げかける。

 それでも、それでもランディはリングへ向かった。
彼にとって、やはり中心は金でも、女でも、家族でもなかった、
なかった、というより、できなかった。
不器用過ぎる生き方だろう。
しかし、何か命を賭してでも、
一つの事をやり続ける姿のかっこよさを
ランディはミッキー・ロークは、
まさに体を張って示したのだ。

 この作品を見て、熱くならないわけがないのだ。

予告編





2011年8月27日土曜日

♯261 リトル・ミス・サンシャイン(映画)


 
2006年 アメリカ
監督 ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
出演 グレッグ・キニア、トニ・コレットほか


あらすじ
「アリゾナに住む小太りなメガネ少女・オリーヴの夢は、
ビューティー・クィーンになる事。
コンテストのビデオを研究したり、大好きなおじいちゃん指導の元、
ダンスを特訓したりと訓練に余念がない。
そんな彼女の元に、朗報が舞い込む。
カリフォルニアで行われる
“リトル・ミス・サンシャイン”コンテストに
繰り上げ参加が決定したのだ!問題だらけのフーヴァー家は、
家族6人ミニバスに乗り込み、一路コンテスト会場を目指すが…?!」


 過剰なまでに「勝ち組」を意識する父親(実際勝ち組じゃない)、
色弱で目指すものを失っている長男、
ゲイのおじさんは失恋の上、仕事でもガタガタ、
おじいさんはヘロイン中毒、
というトンデモ家族に囲まれる少女は、
ミスコンに夢中。

 そんな家族が、ミスコン会場へ向かう珍道中を
描いたのが本作となるわけなんですが、
この珍道中がまた面白い面白い!

 ユーモアセンスがなんて絶妙なんでしょう!
それでいて、トンデモ家族のみんなも、
ケンカやハプニングを繰り返しながらも、
実に愛に溢れていて、おもわず笑い泣きしてしまう
素晴らしい作品となっております。
人気があるのもうなずける!!

 少女の見た目も実に愛らしい。
これでミスコン!?というほどのポッチャリ具合と
眼鏡姿が本作のコミカルベースに実にハマる!!

 見ていて時間が過ぎるのをまったく感じさせない
リズムとセンスに溢れる泣き笑い。
押すとこは押すし引くとこは引いてますし。

 あとアメリカ色がすごいです。
んまぁ珍道中ものは、えてしてアメリカなんですが、
随所にみられるアメリカ色は、
たとえ悲しみが背景にあっても、
ポジティブにさせる不思議なものがありますね。

 ということで、おススメです。
みんな見たことあるかもしれないけど、おススメです。

 とにかく楽しい。
ホント、最低な人たちだし、
絶対設定的にあぁはなりたくないけど、
あのように大きな愛とみんなで泣き笑える、
家族という形は、最高だよね。

最低で最高です。

予告編





2011年8月16日火曜日

♯260 冷たい熱帯魚(映画)


 

2010年 日本
監督 園子温
出演 吹越満、でんでん、黒沢あすかほか


「死別した前妻の娘と現在の妻。
その折り合いの悪い二人に挟まれながらも、
主人公の社本信行は小さな熱帯魚店を営んでいた。
波風の立たないよう静かに暮らす小市民的気質の社本。
だが、家族の確執に向き合わない彼の態度は、
ついに娘の万引きを招く。スーパーでの万引き発覚に
窮地に陥る社本だったが、そんな彼を救ったのは
スーパー店長の友人の村田だった。村田の懇願により
店長は万引きを許す。さらに大型熱帯魚店を経営する村田は、
娘をバイトとして雇い入れる。その親切さと人の良さそうな男に誘われて、
社本と村田夫婦との交流が始まる。しばらくして、
利益の大きい高級魚の取引を持ちかけられる社本。
それが、村田の悪逆非道な「ビジネス」を知り、
同時に引き返せなくなる顛末への引き金となった。」


 ということでようやく見ることができました。
大変期待していた本作でしたが、
青森の上映は大変微妙な時期と期間であり、
僕は劇場に足を運ぶことができず、
ひたすらDVDの登場を待ちわびていたのでした。

 園子温ワールドは映画ファンの多くの方は、
「愛のむきだし」ですでに体感されているかと思いますし、
まだ見ていない方にもぜひにとオススメできる作品です。

 そんな期待を抱かせざるを得ないような作品の後の本作ですから、
ハードルは高いものがあったでしょう。しかし、
それを上回る評価を多くの地域・映画祭で得たのですから、
その時点で説得力がありますね。

 さて、本作ですが、
完全ノンフィクションというわけではないのですが、
実際に起こった事件がベースとなっております。

 異常性の高いその事件、
人間を透明にする、という行為、
つまり人を完全にバラバラにし、
無きものとするその残忍性、
というそのもの自体は見ることを拒絶させるものだが、
それをエンターテイメント作品へと昇華させる
園子温の手腕たるや、もはや恐ろしい。

 また不穏な空気というものが、
作品を通してずっと流れているこの空気感、
そして性とユーモアと怒りや悲しみ。
様々な感情の交錯も、どれも取り逃がさないように
包み込みながらも、壊れることのない、
なおかつこちらをどんどん吸い寄せるリズム感。
どれをとっても監督のオリジナリティと
スペシャリティのそれに依拠する部分も大きい。

 キャスト陣がこれまたベテランの演技派を、
主に見えるところに常に置いてるところも、
本作においてとてもハマった部分であるところだと思うし、
んまぁ、演技派というより芸達者、
と言った方が間違いじゃないのかもしれませんが。

 そんな、怪演を見事にやってのけた、
でんでんのインタビュー動画はこちら

 ということで、お腹いっぱいの見事な快作でした。
劇中には突き刺さる表情、セリフ、演出など
非常に多くのものが盛り込まれていて、
どこまで狂気を描いてもエンターテイメントに
帰結するという、もうこちらもお手上げの作品。

 「人生ってのは痛いんだよ」
映画を見ていたら、このセリフが耳に焼きつかないはずがない!
あれやこれやもここで納得!

 痛みという感覚こそ生。生を教える父。
生は、有限なのだ。


予告編





2011年8月9日火曜日

♯259 はっっ


 何かを、何かを忘れてるなぁ、、
とは思っていたんです。思っていたんですけど、
それが何かを思い出せないでいたんですけど、
うーん、それでもやっぱり思い出せない・・・
でいたんですが、そうですね、完全にこのブログのこと、
忘れてましたよね!!もう、約2カ月の放置っぷり!!

 以後、忘れないようにしたいです!
と、何度も言い続けて忘れているわけですけれど。

 かと言って、とても多忙な日々を過ごしているわけでもなく、
ただただ更新してなかっただけ、それだけなんですね。

 こうやってブログを更新していないことで、
ふと気づいたことがあります。
最近はもっぱらツイッターばかりだったわけですが、
そうです。全然長文を書く気にならなくなる!
ということなんですねぇ。

 ツイッター脳とか一時期言われてたアレですか、、
何かちょっとなるほどな、なんて思ったりもしたもので、
ホント、140字すら書くのが面倒になるほどで、
いつもこれじゃいけないなぁなんて思いながらも、
でもいざとなると筆は進まず、このブログも、
おざなりになっていった、という次第なわけですね。

 ということからわかるように、
ツイッターの良い点は、短く簡潔でありながら、
情報のやりとりができる、という点に尽きるわけで、
往々にしてその情報に対する説明は簡素で、
情報を受け取る側にそれは委ねられるわけですね。

 そしてそこで拾った心に残る情報は、
RTといった形で、己が何も書くことなく、
拡散できるという非常に楽なところがまた、
大衆に受けたということでもあるでしょう。

 こういったブログにあるような、
ツイッターでは見られない長々とした文は、
(実際大して長くないんだけど)
どうしても敬遠されがちになってくるわけで、
かくいう僕もその一人となっていたわけで・・・。


 でも、こうやっていざ文字を打っていて思うことは、
やはり文字を書いてる時間と頭がそれ用に動いてる時ってのは、
やっぱり嫌いじゃない。

 でも何もしていないと、
このように長々と文字を連ねていく能力は、
衰えていく、というのを最近は実感したわけで、
それは今後のためにも避けたいな、
そう心から思ったことも事実です。

 別に大したことを発信しているわけでもないですけど、
自分自身のためになっていたんだなぁ、
って改めて実感したものです。

なので、これからまたブログがんばってみよっと、
という決意(今だけなのかもしれないけど)を込めた
更新であります。

ということで今回はこれまで。

ではでは。