2010年12月27日月曜日

♯233 街場のメディア論(文学)




内田樹 光文社新書 2010 8/20

「テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調──、
未曽有の危機の原因はどこにあるのか?
「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、
危機の本質を見極める。内田樹が贈る、
マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な
「知」のレッスン。神戸女学院大学の人気講義を書籍化。」


ということで、ようやく読了です。
内田先生によるメディア論です。

みなさんも視聴率の低下や出版関係の不調は、
色々な方向から耳に、目に、していることでありましょう。
その部分をチクっと刺す内容でした。

メディア自身の不調の原因はメディア自身にある、
と言うようなくだりがあります。
これは、頷けるところではありますし、
ここまでそのシステムをガチガチに構築し、
がんじがらめになってしまったメディアのどこに、
復調の道は開けるでしょうか。

幾つか引用しますと、

「テレビの場合、放送するためにはお金もかかるし、
機材も要るし、人間も要るし、スポンサーや政治家や行政の
干渉にも応接しなければならない。
だから、「つつがなく放送する」ことそれ自体が自己目的化する。
それはやむを得ない。でも、それはシステムとしては
きわめて脆弱だということを意味しています。」

「「とりあえず『弱者』の味方」をする、
というのはメディアの態度として正しいからです。
けれども、それは結論ではなくて、一時的な「方便」にすぎない
ということを忘れてはいけない。何が起きたのかを吟味する仕事は、
そこから始らなければならない。
僕はメディアはそのことを忘れているのではないかと思います。」


この2つの文章について、思わず納得させられてしまったものです。
もはや、自由がきかない、と言えますね。
しかし、ネットの普及により、
人々の「理解」は大いに深まったことと思います。
たくさんの情報と娯楽に満ち溢れたその世界は、
従来の定まったチャンネル数を大きく飛び越え、
思わぬ満足と悲しみを、より速く伝えてくれます。
どれが嘘でどれが真実か不安定なままで。

ジャーナリズムの根はやはり真実を伝えること。
これに尽きます。
たくさんの言葉の飛び交うネットとメディアは、
相互関係を維持しながらも闘い続けなければいけないことでしょう。
メディアの不調、それはメディア側にある、
という意見に加え、それ故に半信半疑に陥った我々がそこにいる、
ということも我々は汲まなければいけない、そう感じました。


読書、に関しても言及していまして、
そこに面白いことが書かれてありました。

「「前未来形」というのは未来のある時点で
完了した行為や状態について使う時制です。
「今日の午後の三時に私はこの仕事を終えているであろう」
というようなのがそれです。
書棚に配架された本が「前未来形で書かれている」というのは、
その書棚に並んだ本の背表紙を見た人が
「ああ、この人はこういう本を読む人なんだな」
と思われたいという欲望が書物の選択と配架のしかたに
強いバイアスをかけているということです。
人から「センスのいい人」だと思われたい、
「知的な人」だと思われたい、あるいは
「底知れぬ人」だと思われたい、
そういう僕たちの欲望が書棚にはあらわに投影されている。」


書棚の背表紙に反映される、
というのはたしかに思い当たる次第です。。。
それに似て、CDなどもそうではありませんか?
「並べる」という行為は、自らが行う行為であり、
すなわち我々の意識を通過する。
自分が見たい形=見せたい形
このような関係というのは、決して拭えぬものでありましょう。

あぁ、なるほどな、ということが、
多分に含まれた面白い1冊でした。


最後に、内田氏が述べた一文を引用して締めましょう。



「中国のような海賊版の横行する国と、
アメリカのようなコピーライトが株券のように取引される国は、
著作権についてまったく反対の構えを取っているように
見えますけれど、どちらもオリジネイターに対する「ありがとう」
というイノセントな感謝の言葉を忘れている点では相似的です。」


時に、己を通過する音楽やニュースなどの記事は、
己の姿勢に反映されると思います。
固定観念、が一番わかりやすいところかもしれませんが、
真摯、これを双方が大事にしなければいけない部分の一つ、
ではないかな、なんて思ったりもしました。




2010年12月21日火曜日

♯232 動画選(音楽)

 お久しぶりです。
また一定期間たったので、ツイートした音楽動画を、
ある程度まとめてこちらに新たにまとめておこうと思います。

では!

27歳のリアル / 狐火 Track by miko (こちらは就活中の翼に捧げたものですね。
リリックはもとより、普通にかっこいいですね)


St. Vincent - These Days (DUMBO Session)
(目の周りが不健康そうだぞ、とツイートしましたが、
いや音楽的には実に良質なので、えぇ、すみません)


Slowdive - Allison
(えぇ、実によろしいですなぁ。
90年代サウンドはふと聞くと実に落ち着くものです)


Drifter / Kirinji
(キリンジです。けっこうアクの強いサウンドが特徴な彼らですが、
この曲は明快でございますな。
歌詞も人気のキリンジ。ふと、グッときている自分がいたりもして)


SUSO SAIZ & LEO MINAX en en Búho Real
(美しいギターの調にボーカルも楽器の一部といえましょう。
彼らのアルバムはもちろん所有しましょうね)


Dup! - Bramborový Luděk
(こちらはポーランド産のダブです。
と言いつつも、ポーランドという感じのまったくしない、
激シブな重厚サウンドが粋!)



すいません、ちょっとドラマ見なきゃだめで、
ちょっと忙しいので(めちゃ暇な証拠)、今回はこんな感じで!!





2010年12月15日水曜日

♯231 Jah Wobble「Japanese Dub」(音楽)




(2010年)

 ということで、Jah Wobbleです。
彼の作品は個人的に当たり外れの波が激しい、
というのが正直なところですが、
今回は「当たり」ということで。

 PIL時代、主張の強いベースで私を魅了して以来、
とてもファンなわけなのですが、
今回もなかなかぶっとい低音かましてます。

 そしてなんといっても今作のハイライトとなるのが、
日本の古典を取り入れてる点でありましょう。

 へたに日本の古典音楽を取り入れ、
なんとなしに微妙な空気をまき散らす羽目になる
アーティストってけっこういるわけですが、
Jah様はやはり特別でございました。

 なんてったってジャケが「間」ですからね。
すなわち「ダブ」じゃないですか。
ぶっとい低音にエフェクト処理も絶妙。
文句なしに楽しめる作品でしょう。
ダブものとしてもネタものとしても。

試聴
 



2010年12月12日日曜日

♯230 フットワーキングス(映画)




2009年 アメリカ
監督 ヘルトン・ブラジリオネア・シンキュイーラ

あらすじ

「ダンスと世界中を旅して歩くという夢を実現した若者
キング・チャールズをリーダーとしたダンスチーム
“FootworKINGz (フットワーキングス)"に迫ったダンスドキュメンタリー。
20年以上も前にシカゴで生まれたダンススタイル“Footworking"は、
爆発的なエネルギーと極めて複雑な脚のステップを特徴としたもので
世界中のダンスシーンから新ジャンルのダンススタイルとして、
今注目を集めている。その頂点に立つチームがFootworKINGz。
彼らのダンスバトルやシカゴ、N.Y、サンフランシスコでの
パフォーマンス映像に加え、彼らの熱いメッセージを伝える
インタビューも収録。」


 ということで、今週最も興奮した作品はコレ!
脚のステップを中心に魅せる!というダンススタイルが
Footworkingなのだが、これが予想以上にかっこいい。

 もはや、あの脚の動きは神速。
めちゃくちゃなのか、と思うほどなのだが、
それを集団で揃えるのだから、
世界を圧巻するパフォーマンス集団ということが納得できる。

 ストリートで踊ることから、
様々なメディアに出演するに至り、
順調に彼らは成功し、
ショービジネスの世界に躍り出ている。
その経緯と彼らの熱意を伝えるには十分な作品である。

 とにもかくにも、ダンスというのは、
魅了されるか、されないか、である。
あとはこの作品を見ていただくしか説明の必要はない。
とりあえず、僕は、思いっきり興奮した、
ということを伝えておきたい。

 BPMアゲアゲな音楽もまたかっこいいんだよなぁ。

予告編


彼らのパフォーマンス(1分20秒あたりから始まります)